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●大麻と日本人
マリファナが大麻の穂(バッツ)と葉の部分であることはよく知られている。そして、それを所持・譲渡・栽培すると非常に重い刑罰に処せられることも知らない人はいない。
しかし、その大麻が実は日本人の歴史と生活の中で利用され、愛されてきたのはあまり知られていない。それは日本政府当局が意図的に真実を隠してきたからである。「麻はいいが、大麻は悪い。大麻の衣類は昔からあるが、マリファナは恐ろしい麻薬だ」というように国民を混乱させてきたのである。しかし、麻も大麻もマリファナも実は全く同じ植物で、日本に大昔から生えていたり栽培されてきたものなのである。
●古代の日本と大麻
日本人と大麻の関係は縄文時代までさかのぼる。福井県の鳥浜遺跡という10000年前の縄文時代の遺跡からは、大麻の種が発見されている。食料や燃料に利用されたようだ。トルコの遺跡から5000年前の大麻の布が出土されているが、それよりさらに古く、世界最古と言えるだろう。

縄文式土器 |
縄文時代は土器に縄を押しつけて模様(縄文)としたのだが、その縄も大麻の縄だった。大麻は植物繊維の中で最も長く、しかも強い。もし大麻の布がなければ、縄文の人々は寒さ厳しい冬を越せなかったかもしれない。大麻は我々の祖先の肌を暖かく包み、守ってきたのである。
奈良時代には、税金を大麻の布か絹で支払うこともできた。大麻は絹と同じくらい非常に貴重な産品として扱われていたのだ。奈良時代や平安時代には、大麻の畑があちらこちらにあって、万葉集には20首以上もある。「庭に立つ麻手刈り干し布さらす東女(あずまおみな)を忘れたまふな」(常陸娘子)。これは旅立つ男に、「大麻を刈りとって干していた私を忘れないでね」という恋歌である。今ではこのような歌はありえない。税金を大麻で払うどころか、大麻を栽培すれば懲役5年である。「大麻栽培で逮捕された僕を忘れないでね」と刑務所で歌わなければならなくなってしまったのだ。
日本には「麻」の字がつく地名が多いが、この頃に付けられたものも多いだろう。麻の生えないところに、麻の地名がつくわけがないし、地名というのは1OOO年間で数%しか変わらないからである。「麻布(あざぶ)」「美麻」「麻植」などのほか、「大麻」というそのものずばりの地名も多い。人名でも「麻田」「麻生」という姓や、最近でも「麻実」「麻里」「麻子」などという名前をつけるひとは多い。しかし決して「麻薬」の麻ではない。素朴で素直といういいイメージが大麻にはあるのだ。
●日本人は大麻を神聖な植物として愛してきた

徳島県 大麻比古神社 |
日本人は大麻には悪を祓う力があると感じてきた。神社のお祓いで、神主が振る大幣には大麻の繊維が使われている。秋の収穫の祭りにかつぐ神輿(みこし)の上にも、大麻の繊維が垂らされている。「大麻神社」という名前の神社も、日本には数十ある。大麻がなければ日本固有の宗教である神道は存在できない。神社にいくと細長いたんざくのような紙に「神宮大麻」などと書かれたものを、お守りとして売っている。「麻薬の大麻とは関係ありません」と神社は言うがそんなことはない。確かに中には何も入っていない。しかし以前は大麻の穂や葉が実際に入っていたのである。腰につけるお守りのなかにも本物の葉っぱが入っていたそうだ。「神宮大麻と国民性」という神社庁が70年ぐらい前に発行した本には、「毎年、大麻の初穂(バッツ)を神棚にお供えして、毎日、親子がそろって拝むべきである。そうすれば、最近増えてきた少年の非行もなくなる」と書かれている。昔の人は偉かったと思わず言ってしまいそうである。
山にこもって修行する山伏の修験道にとっても大麻は欠かせない。彼らが小屋にこもって祈りながら焚く「護摩(ごま)」は、もともとは大麻だったようである。大麻の煙は、彼らに意識変容をもたらし、宇宙の神秘を悟るのに役にたったに違いない。
●日本人は生まれてから死ぬまで、大麻のお世話になった

麻をモチーフにした家紋の数々 |
正確にはオギャーと生まれる以前から、日本人は大麻のお世話になった。というのは母親が子供を産むときの痛みを緩和するために、大麻の葉を食べさせることがあったからである。無事、生まれたら、神社にいって丈夫に育つように祈祷を受ける。このときに大麻の茎の繊維が使われる。生まれて初めて着せる衣服(産着=うぶぎ)には、必ず大麻の葉の模様が入っている。これも赤ちゃんが病気をせずにすくすく育つようにという願いがこめられているのだ。子供があげる凧やコマの糸は丈夫な大麻製である。江戸時代の農民の衣服はほとんどが大麻の布だったし、武士も裃(かみしも)は大麻の布で作った。下駄のはなおも切れない大麻の紐だし、草履や座布団も大麻の布が使われた。女性の和服には麻の葉模様があしらわれたものが多い。また、家紋に大麻の葉を使ったものが非常に多いのも、日本人と大麻の関係の深さを物語っている。
大麻の実は七味唐辛子、つくね、がんもどき、ふりかけ、お粥などとして食べられてきた。長野県では「麻味噌」「麻の実の野菜煮」、島根県では「鯵のこはだ」「飛龍頭」、愛媛県では「ひろす」「いずみや」、大阪では「いなりずし」などとして食べられ、日本全国で郷土食として食べられてきたことがわかる。麻の葉をおひたしにして食べていた地方もある。大麻は八穀(米、麦、大豆など)のひとつに数えられている。大麻は大豆より栄養価が高く、タンパク質や必須脂肪酸も豊富だ。外国でも飢饒のときは大麻の種がこぞって食べられたが、日本でも同じだったに違いない。大麻の油は食用や燃料として利用された。日本の伝統文化の代表である相撲の横綱の化粧回しや、弓の弦も大麻製である。また夏の夜空を染める打ち上げ花火には、色を鮮やかにするために大麻の粉が混ぜられている。
●大麻は副作用の少ない伝統薬だ
忘れてならないのは薬としての利用である。大正14年に発行された「不思議によく利く薬草薬木速治療法」という本には、「大麻の葉を煙草にまぜて吸えば、喘息に特効あるのみならず、鎮痛・鎮痙および催眠剤ともなる」と書かれている。実際、昭和初期まで大麻煙草は喘息用に薬局で売られていた。中国では1000年以上前の漢方薬の処方(本草綱目など)で、痛み止めや食欲増進、皮膚病、便秘などに効果があると書かれている。大麻は副作用の少ない安全な薬として、大昔から生活のなかで利用されてきたのである。最近、欧米で大麻が末期ガンや慢性の痛みに効果があるとして、医療目的の使用が合法化されはじめたが、東洋では大昔からの庶民の知恵だったのである。注目すべきは大麻にはほとんど禁忌がないことである。夾竹桃(きょうちくとう)や櫨(はぜ)の木にはかぶれるので触るなとか、彼岸花やとりかぶとの根やアジサイの葉には毒があるので、触った手でものを食べるななど、民間薬にはしてはならない注意がある。しかし、大麻にはそれが見当たらない。ということは大麻にはほとんど毒性や危険性がないということだ。それも長い歴史と経験を通して知った庶民の知恵である。
●なぜ北海道に大麻が
北海道に大麻が自生していて、取りにいった若者が逮捕されることがたまにある。この北海道の大麻だが、実は戦時中、日本軍が軍服の布にするために植えたものが野生化したものだ。大麻はほとんど肥料を必要としないばかりか、落ちた葉が翌年の肥料になる。しかも寒さに強い。だから当局が毎年100万本以上刈り取っているのに、全然なくならない。大麻に目をつけたのは軍部だけではない。明治維新で新政府に抵抗して函館に五稜郭という城を建設し、北海道の独立を企てた榎本武揚は、経済基盤として大麻産業を考えた。寒いロシアから種を仕入れ、産業の可能性を検討したのである。麻は食料になり、衣服になり、燃料になり、建材、医薬品にもなる。もし明治政府軍との戦いに敗れていなければ、北海道は独立できていたかもしれない。北海道には先住民としてアイヌの人たちが生きている。毎年1度、アイヌの祭があり観光化されているが、3年に1度はアイヌしか参加できない祭があり、そのときは大麻を大きな水パイプでボコボコ吸うということだ。彼らには大麻を吸う伝統があるのだろうか。
●大麻とこれからの日本のありかた
今日本の食料自給率は40%台、また主要栄養源である穀物自給率は20%台まで落ち込んでいる。先進国でここまで食料自給率が低いのは日本だけで、ほとんどの国は1OO%自給できる体制をとっている。日本の伝統食である味噌や醤油の原料となる大豆は、90%以上がアメリカから輸入されている。もし食糧の輸入が停止されれば、日本はあっという間に崩壊する。しかし大麻を栽培すれば、短期間で収穫できるし、タンパク質の豊富な食糧を確保し、味噌や醤油もできる。医療大麻を合法化すれば、医療費の削減にもつながる。また嗜好品としての大麻を合法化すれば、ストレスからも解放される。これまで見てきたように、日本人には数千年にわたる大麻の歴史があり、大麻とうまくつきあってきた。政府がアメリカの言いなりになって大麻を弾圧しなければ、今後もうまくやっていけるのは間違いない。 (執筆:前田耕一)
●まえだ・こういち
1975年、大阪外国語大学朝鮮語学科卒業。80年、サウジアラビア王立リヤド大学留学。
高校教員、大学講師、ジャーナリストなどを経てヘンプ・レストラン麻、他を経営。
訳著書『マリファナ青春旅行』(幻冬舎文庫)、『クルド民族』(亜紀書房)ほか。
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